11月19日と25日に熊谷市内の戦跡めぐりを行いました。
19日は参加者の方が詳細な報告をされています。その1からその4まであります。
25日は、案内の佐藤さんと3人の参加者で行ってきました。
最初は中央公園の平和の鐘。毎年8月6日、9日、15日に鐘をついて平和を祈ります。
中央公園には空襲で残ったケヤキが移植されています。
空襲で残った聖パウロ教会は内部を見せていただきました。
熊谷空襲直後の写真を撮った 佐藤虹二さんの北村写真館。その時の写真はリンクを参照してください。
民間で建立した平和地蔵。
碑文はほとんど読めなくなっていますが、佐藤さんがまだ碑文が読めた時に書き取ったものが以下とのことです。
『舌代』
顧るに昭和20年8月14日夜半よりよく15日に亘り、
吾が熊谷全市は火の海と化し、言語に絶する
混乱状態となりたり。折下星川の流れに身を投じて
避難せる人々は両側に並ぶ家屋の焼落ちる火と火との間にて、
哀れにも狂い死をなしたる者多大なり。
又無残や大火傷を受け、薬石功無く遂に尊い一命を失った者
驚く勿れ全市に於いて其の数実に二百有余命なり。
そのお気の毒な方々の最後を思いやり、情厚き全市有志の
皆名様と共にここに平和地蔵尊並火伏地蔵と唱えて建立せしものなり、
斯くのごとき死亡者の中には身寄り頼り無く不幸此の上も無き
霊魂の為に何卒一片の香花を手向け下さる様御願い申上げます。
昭和32年1月熊谷市有志
堂守 杵屋25代目 新井龍吉
石上寺にもいくつか空襲の跡が見られます。
星川にある北村西望作の戦災者慰霊之女神像。毎年8月16日にここで灯籠流しが行われます。
星川沿いにある身代わり地蔵。
17号沿いの中家堂には空襲で焼けた石灯籠があります。
案内役の佐藤さんは京都のご出身とのこと。他にも案内をされる方はいらっしゃるのですが、一人では案内できないと言って断られるようです。
熊谷に住んでいても知らなかったことが多く、次の世代に引き継いでいくことは課題だと思いました。
ホームページの更新ご苦労様です。
スッキリしていていいですね!