今日は朝から観光では有名なパパドの朝市です。前夜の米軍の説明会で余っているからと大量にもらったサンドイッチを抱えて朝市に向かいました。

人が並んでいるので、何かと思ったらTAHO(豆花)とSoy Bean Milk(豆?)とある。豆乳と加工品のようだ。

ココナツジュース 1。他のところにいくと、もっと高かった。

色とりどりの魚が並んでいるが、青色の魚はちょっとグロテスクに見える。

この洗面器に入っていた魚はよく飛び跳ねていた。シャッターチャンスを狙ったが失敗。

もちろん、食べ物だけではない。子ども用の衣料品店。

パパドの朝市から、グアム島最北部の自然保護公園に向かいます。ドライバーになってくれたホープさんの息子さんが、途中トイレ休憩で寄ったマクドナルドに隣接した米軍基地が、実は米軍の移転候補地の一つであることをあとから知りました。残念ながら写真はありません。

<自然保護公園>
自然保護公園は、基地の中の道を通らないと行けません。公園があるグアム島最北部は過去、米軍基地が返還されたところで、個人が所有している土地もあるのですが、途中のゲートが午後4時で閉まってしまうため、実質的には住むことができないそうです。

自然保護公園にある案内所に掲げられていたグアムの旗。常にアメリカ合州国国旗が上にある。

案内所の中。地図があったので、現在地を確認。

基地が返還されたときに、直接グアム政府に返還されたのではなく、アメリカ政府の一部である野生生物保護局が管轄することになったそうです。ここは、昔はチャモロの人びとが暮らしていたところであるにも関わらす、グアム政府に、土地が戻ってくるわけではありません。

自然公園内の洞窟。他にも洞窟があり、大昔から人が住んでいたことが分かるそうだ。

自然公園にある、ほとんど人がいない砂浜。

タコが捕れた。

自然公園から市街地に戻って地元のファミレスで昼食。

ファミレス前の道路風景。

<第2次大戦のメモリアルパーク>
午後は、海軍基地が見渡せるところにある、アジア・太平洋戦争のメモリアルパークに行きました。

入口。見難いがここでも、星条旗が上、グアムの旗が下。

入口のレリーフ。米兵らしい兵士たちが上陸しようとしている。

アジア太平洋戦争の時、遠くに見える海から上陸してくる米軍を日本軍はこの丘から「バンザイ突撃」した。

向こう側に見えるのは米軍基地。船が見える。

犠牲者の名前が刻んである入口のレリーフ。

3部のレリーフの最初。ATTACK(攻撃)というタイトルで、日本軍が住民を追い立てている。

3部のレリーフの2番目。OCCUPATION(占領)というタイトルで、日本軍が住民を強制的な労働に駆り立てている。

3部のレリーフの最後。LIBERATION(解放)というタイトルで、米軍が「解放」して喜んでいる様子が描かれている。

白人はあまり見ない。たまに見かけるのは、米軍関係者という。

1941年12月7日、米海軍にいたチャモロ人の最初の犠牲者の名前が刻んである。

犠牲者の名前が並んでいる。

<ディナーパーティーとホープさんの話>

夕食は、ホープさんのところの庭でパーティー。

テーブルに並んだ料理の数々。フォークを刺しているのは、パンノキの料理。他にサラダや肉料理など。

裏庭には、いろいろな食用植物。これを見て、本来グアム島は豊かに食物が実るところだと感じた。

ホープさんの家のネコ。客人が来ても全く動じない。

夕食を食べながら、ホープさんから話を聞きました。冒頭、参加者から海兵隊の移転についてはチャモロの人々はどのくらいの人が反対しているかと質問があったのですが、ホープさんはその質問自体とても耐えられないようでした。以下はホープさんの話です。

反対している人の人数は、これから調査するが、多くのメディアから、少数のチャモロの人が主張しているだけと攻撃されており、人数のことを言われただけで攻撃されているように感じる。移転のことはほとんど知られていない。大学生に聞いてもどの一つも答えることができない。基地移転についての調査はないが、軍が行おうとしている環境アセスについては、56.2%の人が反対している。

環境アセスの資料は11000ページあり、資料を渡されてから90日しか検討して意見を言う余裕がないが、専門的なためなかなか反論が難しい。1回目のアセスの説明会では、高圧的だったが、抗議したら昨日の2回目の説明会はフレンドリーな態度になった。

基地については、環境法など、守らなければいけない法律を守っていないのではないか ということで闘っている。基地拡張計画では、原子力空母が入港できる港を作ることになっており、70エーカー(約0.28?)のサンゴ礁が破壊される。船 を修理する機械は日本からのものだ。

商工会議所やマスコミが我々とは逆の意見なので、広げていくことが難しい。メディアを通して個人攻撃を受けている。共産主義者とか過激派とかの名前で呼ばれている。過激派というのは、根源的ということなので最近では誇りに思ってる。

嫌がらせを受けることがあり、ドアが開けにくくなったり、使っているiPADが見られている形跡があったりしている。国連に行った時も、先住民族の人でもグッチのバッグを使うんだと嫌味を言われた。ハワイの税関に行くと必ず別室に連れて行かれる。

徴兵制でなくとも、グアムでは他に就職先がないので軍に入る人が後を絶たない。軍のリクルーターは、何もしなくとも学生が軍に入隊してくれるので遊んでいられる。

生まれた時からフェンスに囲まれた生活を送っている。巨大な怪物のおなかの真ん中にいるようだ。姪はクエートに派遣された。経済的に苦しく、毎日がチャレンジだ。希望を持つことが難しい。

グアムでは、チャモロの土地が奪われ自決権すらない。国際司法裁判所に訴えたくともアメリカ合州国の許可が必要だ。1950年にアメリカが作った基本法を変えようと、グアム議会で取り組んでいるが、アメリカがOKしないので進まない。

アメリカ大統領が誰であろうが気にしていない。大統領を選ぶことができないことに文句を言ったことはない。

ディエゴガルシアも沖縄、グアムも同じだ。首都から遠く、政治的に弱いところに押し付けるしか成立しない。

多くの親戚が癌でなくなっている。

植民地である以上、グアムから基地撤去はされないだろう。パブコメに1万以上のコメントをだしたが、何一つ実現したことはない。アメリカとの関係を変えなければいけない。日本の運動と連帯して、お金を出す国である日本の政治を変えていきたい。

おばあちゃんの時代のように、島の人として自分たちの暮らしが実現できるようになりたい。基地はグアムで最も美しいところを占有している。

ホープ(Hope)さんから夢がないと言われたことにみんな衝撃を受けていました。

<チャント>

ホープさんの話の後、チャントというチャモロの人の歌と踊りを見に行きました。グアム大学の教室を借りて練習しているのですが、外部の人に見せるも のではなく、日本からの案内人である長島さんの紹介なので、特別に見せてもらったものです。練習に使っている教室に入ると、まず手首に油を塗ってもらいま したが、残念ながらその意味を聞きそびれてしまいました。

最初は一体感を作るために輪になる。男と女は別々の輪で、のちに一つの大きな輪を作る。

スペイン語の影響をまだ受けていない古代のチャモロ語で、「この土地は自分たちのもの」という歌をはじめ数曲を聞きました。普段着を着て通常は練習するのだそうですが、私たちが来るので特別に写真のような服を着てもらっています。

目の前で繰り広げられる歌と踊りに圧倒されてしまった。男と女では踊りが違う。

足を踏み鳴らすところは、全員の息がぴったり合っている。

リーダの人から話を聞きました。

チャモロでは、赤ちゃんの頭の柔らかい部分から魂が入ると考えられており、頭は聖なるもの。男が髪の毛を長くしているのもそのため。

ネックレスはタウといって、儀式を受けた人がつけるもの。

チャモロダンスグループがあるが、エンターテイメントになっている。ここではオーラルヒストリーも教えている。通常は人の前ではやらない。

男女の踊りが違うのは、男女でスピリット(気)が違うため。

チャモロでは、死ぬと一旦墓に埋めるが一年後に掘り起し、頭がい骨は部屋に、大腿骨は武器に使う。

チャントグループにはチャモロでなくとも誰でも入れる。

グアム大学でチャモロ語を習った人がさらに深く学びたいとして入る場合が多い。チャモロは古いものを尊ぶ。

ビンロウは麻薬の一種であるが、チャモロでは親愛を示すために人と人の間で交換する。

チャントは情報量が多いので一人でするには、限度がある。古代チャモロ語や武術など専門に分かれる。

サブリーダ格の人にも話を聞きました。チャントをやると先祖と一緒にやっているという気持ちになるそうです。また、チャントを勉強して、祖先とのつながりを感じたり、幸せを感じるようになったそうです。

グアムに米軍基地はいらない(グアムツアー報告(2))

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