日本キリスト教団埼玉地区社会委員会の主催による、「集団的自衛権を考える きたるべき改憲発議、国民投票にどう立ち向かうか」に参加しました。

会場の様子

日本キリスト教団の行事なので講演の前に礼拝があるのは当然なのですが、私としては初めてなので新鮮でした。聖書を繙いて現在の政治と結びつけるのはさすがでした。

また全員参加で読み上げる『関東教区「日本基督教団罪責告白」(リタニー)』に感銘を受けました。以下抜粋です。

「わたしたちの教団は1941年6月24日、30余派の福音主義教会の合同によって成立しました。(略)しかしこの合同は当時の戦時下の宗教統制の国策に屈したものでした。」

「唯一の神、唯一の主キリストへの信仰を告白しつつ、天皇を神とし、天皇を中心とする国家に奉仕する教会となりました。」

「朝鮮半島や中国、台湾をはじめとするアジアの隣人と教会に、そして在日の隣人と教会に、天皇を礼拝することを強要し、アジア侵略の戦争に加担・協力しました。」

「わたしたちは敗戦後、神の前に罪を悔い改め、再出発をすべきでした。しかし同じ体質を保持し、九州教区沖縄支教区であった沖縄の教会を抹消しました。」

「今日、日本を再び戦争のできる国にしようとする国家主義の流れが強くなっています。」「(略)共にキリストのある和解と平和の福音を宣べ伝える教会の使命に使えることができるように、主の助けと導きを祈ります。」

伊藤朝日太郎さんの講演は、次の3つ

  1. 安保法制の成立によって何が変わったか
  2. 「自衛隊明記の憲法改正」は「単なる現状追認」か?
  3. 国民投票にどう備えるか

私としては、最後の国民投票について聞きたかったのですが、残念ながらほとんど時間が残っていませんでした。その中で印象に残った点としては、

  • 独裁の道具としての国民投票も存在する。
  • 国会で発議されてからでは遅い。(資金がある側が大量にイメージCMを投入できる)
  • 選挙と異なり、戸別訪問、自由なビラ作成・配布、メールでの呼びかけ等も禁止されていない。「事前運動」という概念もない。

その他に印象に残ったのは、

  • 朝鮮民主主義人民共和国の略称として「朝鮮」としたこと。
  • 8月15日を過ぎても沖縄では戦闘が続いていたこと。
  • 尖閣問題でアメリカを引っ張り込むのは米中戦争になりかねないので却って危険。
  • 「自衛隊明記の憲法改正」はブレーキをつけずにアクセルだけを踏むということ。

残念ながら参加者のほとんどは年配者で、終了後の懇談会ではTwitterをやったらよいとか、若者が集まるところに出かけていくなどの案がでました。どこも悩みは同じようです。

「集団的自衛権を考える きたるべき改憲発議、国民投票にどう立ち向かうか」に参加しました。

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